わたしの半分と、もう半分

   
12月3日、県南の施設に入院している母方の祖父のお見舞いに行きました。
この日は母親の実家から少し離れた場所にある施設に入院している母方の祖母のところに行ってから
実家の近くの施設に入院している祖父のところに行こう、
という計画を立てていました。

遅くなっちゃうし、早めにごはん食べてから行こうか、と
高速をおりてすぐのごはん屋さんの駐車場に入ったところで
伯父(母親のお兄さん)から祖父が起きてるから顔見せにおいで!
祖母のところに行ってからでは遅い時間になって寝てしまうから・・・早く!と連絡があり。
(もともと早寝だったけど、もう寝たきりだから起きてる時間も短いのよね。)

祖母のところに行くのはまた今度にしよう、とごはん屋さんへも寄らず、
そのまままっすぐ祖父の元へ向かいました。

祖父は90歳を超えているのもあるけど、
わたしが生まれる前に大きな病気をして命を落としかけたらしく体が弱くて、
何年も前から「もう長くは生きられない」と言われていて・・・
身内はいつお迎えが来ても、、、と覚悟をしていました。

祖父の様子を見て、母親は「しばらく大丈夫だと思う」と言っていたけれど、
今思うとこれって母親の希望だったんだと思う。

わたしは正直、「あんまり長くないかも」と思いました。
父方の曾祖母が100歳近くまで長生きして、
亡くなる少し前に施設に見に行ったときに見たのと同じ感じがしました。
具合が悪そう、っていうんじゃなくて、寿命かなあ。。。って感じ。

認知症にかかってしまっていたけれど、
わたしのことは覚えてるよ!と言っていました。


祖父は、もう少し生きなければならない、もう少し、、、とうわごとのように繰り返していました。


若い頃に大きな病気をした時も持って数年、なんて言われていたらしいけど
その後平均寿命よりずっと長生きして、
「もう長くない」と言われてからも何年も生きてて、


「この人はかみさまに生かされてるんだなあ」と思いました。





帰りに、伯父に遠慮しないで好きなもの食べていいよ!と
言われ遠慮せずに横手の米沢亭!と答えたら
忘年会シーズンの土曜日の夜なのに奇跡敵に1席だけ空いていて
おいしいお肉をたくさんごちそうになりました。
わたしのだいすきな牛玄亭系列の焼肉屋さん、、、

おいしいお肉をごちそうしてくれてありがとう!と言ったら
伯父は僕じゃなくて祖父に感謝してね、
祖父は真面目に商売をやった人だから、と言っていました。
母方の実家は自営業なんだ。

伯父は祖父に米沢亭のお肉を食べさせてあげられなかったことが心残りだとも言っていました。


そういえば、祖父が胃を悪くしてたから栄養のあるものを!
ということで母方の人たちは食にはお金を惜しまなかったんだよなあ。。。
と思い出しました。


祖父にも会えておいしいお肉も食べれて今日はとっても良い日だったね!
きょうは完全にじいちゃんに呼ばれたね~

なんて母親と話しながら家に帰りました。
伯父曰く、ここ最近ではわたしたちが会いに行ったこの日がいちばん祖父の体の調子が良かったらしい。




その2日後の12月5日。

わたしは勤務中にひどい頭痛と腹痛、目まいと吐き気に襲われて目の前が真っ暗になり
立っていることもままならず早退して家で寝込んでしまったのですが、

わたしが体調不良で寝込んでいるあいだに、
一緒に住んでいた父方の祖母が家の風呂の中で亡くなっていました。

祖母は人一倍寒がりなのに、寒い場所で朝まで誰にも気付かれず、、、
雷と風がすごい、冷たい嵐の夜でした。



突然のことでした。
母方の祖父は長くないと言われていたので、ずっと心構えは出来ていたけれど
父方の祖母はひとりで車に乗って出掛けたりもしていたし、
その日の日中まで普通に生活していたので。。。

身内全員母方の祖父が最初に亡くなるだろう、と思っていました。



くも膜下出血でした。
祖母は脳の手術を2回していて、それでもお酒もタバコも止めなくて、、、、
3度目はないって言うけど本当なんだね。


父方の祖父は、トイレに起きて風呂の電気が付いているのを見て、
わたしが風呂に入っていると思ったらしい。
退勤時間が深夜だと風呂に入るのが明け方になる日もあるので。。。

しかし寝室に戻ったらとなりに居るはずの祖母が居ない。
こんなに時間に風呂に入ってるのか!?とドアを開けたら亡くなっていた、、、ということらしい、、、

わたしの家族は基本早寝なんだけど、
わたしは夜更かししてたり、退勤時間が遅かったりして最後まで起きているのに、
その日に限って寝込んでしまって。。。

わたし、早く寝たとしても夜中に目が覚めてお風呂に入ることもあって、
この日も1回起きたけどなんだか入る気しなかったんだよなあ。


両親とわたしはそれぞれ2階の別々の部屋、父方の祖父母は1階で同じ部屋に寝てるんだけど、
明け方にトイレに起きた祖父の死んでる、おかあちゃん風呂で亡くなってる、
という絶叫で目が覚めて、

両親はすっ飛んで行ったけど、
わたしは怖くて足がすくんで階段を降りられませんでした。
ずっと自分の部屋と2階の廊下を行ったり来たりしていて、
窓の外を見たら家の前は救急車と消防車の赤色灯で真っ赤に染まっていました。
わたしが時計を見たのは4時44分。。。

本当はお医者さんを呼ぶのが正解なんだけど、
こんな田舎でこんな時間に来てくれる医者なんて居ないよね、、、
ということで仕方なく救急車を呼んだらしい。。。
本当はいっちばんやっちゃいけないやつだけど。

わたしがやっと1階に降りると「鑑識」と書かれた大きなトランクを持った人に会釈をされ、
警察の人がたくさん居ました。

家族全員家に居たのに発見が遅れてしまったのもあって、
両親と祖父とわたし、早朝から居間で警察に尋問尋問。。。。家の中じゅう全部調べられた。。。
救急車呼ぶと警察が来て身内は犯人扱いされるし
遺体は警察に持ってかれるし~とネットで読んだ通りのやつ。
第一発見者の祖父がいろいろ聞かれ過ぎて気の毒だった。
最初に見つけちゃったからしょうがないんだけど、
この話、弔問に来る人全員に何度も何度もしてて見てて胸が痛かった。。。


家にチビちゃんっていう猫が居るんだけど、
チビちゃんはずっと悲しそうな声で鳴いていました。


こういうことがあったせいで祖父はちょっとおかしくなってたし、
公務員だったので退職金とか結構お金持ってたはずの祖母がお金を悪い趣味の仲間に取られて使い果たしてしまった(葬式には一人も顔を出さなかった)上に
祖父や叔母が1円もお金を出さなかったり、
祖父と父と不仲の弟が帰ってこなかったりで
父親の負担がものすごくて機嫌が悪くて当たり散らしてすんごい大変だった、、、
わたし一生分怒られたわ
あまりにも突然だったし、元々寂しかったり
おもしろくないことがあると機嫌悪くなる人(わたしもソックリだ、、、)なのはわかってるんだけど、

身内同士の悪口がすごくて、
父方の人間と、母方の人間がお互いのことを悪く言ってるの、
自分の半分が、もう半分を否定して、
自分自身が全否定されてる感じがしてとてもつらかった。


突然過ぎて火葬場が空いてないとか、
天気が悪すぎてなかなか納骨出来なかったりとかで、
葬儀はめちゃくちゃ長引いた。
普通の人の何倍の日にちかかったんだろう。




12月24日。
年のはじめからチケットを確保していた仙台のTMさんのライブ。
ライブなんて行ってる場合じゃないし、
何がなんでも行きたいワケじゃなかったけど
ストレス溜まりすぎてライブでも行かなきゃやってられないような状態。

こんなとき家に置き去りなんてしたら
絶対に機嫌悪いんだろうな、、、と思っていた父親
快くわたしと母親がライブに行くことを許可してくれて。こんなの人生で初めて、、、

3連休のクリスマスイブなんて旅費もハードル高過ぎて
ずっといっしょに行く人を決められなくて、、、
新幹線の切符を格安でおさえて母親と弾丸日帰りで行くことにしたんだけど、
席も悪かったし直前まで行けるかわからなかったし
誰と行ったとしても気も遣わせてしまっただろうし結果的にこれで良かったと思う。

元々母親が西川さん好きだったから若い頃はいっしょに行ったりしてたけど、
今までで見た中でいちばん良いライブだった!って泣いてたくらい素晴らしいライブでした。

この日、最後に西川さんが「まだ死にたくない」みたいなことをボロっと言ってて、
家族の死に触れたばかりのわたしと母親は「なんなんだろうあれ」
「西川さんあんなこと言う人じゃないよね」なんて気になってました。
(数日後にアプリの西川さんの連載を読んで、
 春先に西川さんのお父さんが倒れていたことを知りました。大丈夫なんだろうか。。。)




今までにないくらい静かな年末年始を迎えて、

1月8日。
父方の祖父と父親と不仲で秋田を出て行った弟が初めて実家に帰ってきました。
今までの不仲なんてなかったみたいに
子供の頃みたいに4人で食卓を囲んで、家族団らん出来た。
わたしも休み取ってたワケじゃなくて、他の家族も家に居る時間帯で、、、
学校の都合で帰省が遅かったいとこもたまたま家に来て父方の孫が揃った!
弟が家に居たの1時間くらいかななあ。夢みたいだった。
母親は次いつ会えるんだろう、って地元の駅で泣いてた。



1月12日。
母方の実家に取材が来たらしく、地元の新聞にどーんと載っていた。
両親は毎朝新聞読んでるけど母親は全く気が付かなくて
父親が載ってるよ、と母親に教えたらしい。
わたしも見たけどえ!こんなに大きく載るモンなの!と思った、、、

広告を出すと何十万って取られるから取材に来てくれるのはありがたいんだよ、と話していた。





1月14日。
母方の祖父が亡くなりました。
暖かい施設で、苦しむことなく職員さんたちに見守られて。。。とのこと。

祖母も体調良くなくて病院に入院してるから知らせてないらしいけど、
話聞いた感じも、本人の人間性的にも、祖母は亡くなったってわかってるんだろうなあ。と思う。

チビちゃんはまた父方の祖母が亡くなった時と同じ、悲しそうな声で鳴いていました。




父方の祖母が急死したとき、母親は「じいちゃんも危ないんだよなあ、お葬式カブらないといいなぁ、、、」と言っていました。
母親はTMさんのライブのときも、「無事に行けると良いねえ、、、」と言っていました。
伯父は「うちは商売やってるから正月は忙しくて・・・なんとか正月は越えてほしい、、、」と言っていました。



わたしが最後に会ったとき、祖父は「もう少し生きなければならない」と言っていました。




父方の祖母が亡くなる直前、あの時期のあの時間帯に予約なしでお肉を食べられたのも、
「これから大変だからおいしいもの食べて乗り切ってね!」ってことだったんだね!と話していたけど、
(実際あのあとしばらくロクなモン食べてない)
伯父は祖父に感謝してね、と言っていたし、おいしいお肉を食べさせてくれたのは伯父ではなく祖父で、
わたしと母親を快くライブに行かせてくれたのも父ではなく祖父だ、

父方の祖母の棺が家から運び出されたとき、わたしの数珠が切れたのを見て
火葬場で母親がこれからは祖父と父と弟と仲良く暮らすから!と言ったので、
父方の祖母が仲直りさせてくれたんだ!と思ってたけど違う、

わたしたち家族を家族のかたちに戻してくれたのも母方の祖父だ。
どう考えても家族全員が居る時間に弟が帰って来て、いとこまで来て、
あんな普通に家族団らん出来たのはおかしいもの。
そもそも帰って来ること自体がおかしいんだ、
祖父は弟が帰って来るのをずっと待ってたんだ。

そういえば、弟が黙って秋田を出て行こうとしたのが発覚したのも
出ていく直前に「もう祖父が長くない」と連絡を入れたからだった。





父方の祖母の葬儀を無事終わらせて、
わたしと母親においしいものを食べさせてくれてライブに行かせてくれて、
母方の実家の商売が忙しい正月を越えて、商売の記事が新聞にも載って、
弟が帰って来て和解するのを待って、、、
そういえば母方のいとこも少し前に無事に希望の仕事の試験に合格したらしい。



祖父は最後まで周りのことを想ってくれていたんだ!と気付きました。




祖父は商売が繁盛してもひとりじめすることなく、
お金は天国に持っていけないから生きてるうちにみんなのために使ってあげるんだ!
と振る舞い、自分はいつもジュースを買う小銭しか持っていないような人だった。

米寿のとき温泉の宴会場で親戚が集まってお祝いしたんだけど
温泉で働いている人たちが「あんなに盛り上がってる宴会初めて見た・・・おじいさんの人徳ですね」と言っていた。
そのとき祖父は若い頃に病気をして祖母にとても迷惑をかけた、ずっと支えてくれてありがとうと泣いていた。

介護が必要になって物忘れが激しくなっても、
自分がこんな風になってしまって家族に迷惑かけて申し訳ないから施設に預けてくれと泣いていた。
ものがわからない状態でそういう意識がある人を初めて見て、衝撃を受けた。




わたしの祖父はそういう人だった。
そういえば怒ったり悪口や不満を言っているところは生まれてから1度も見たことがない。
いつもニコニコしていて、間違いなくかみさまに生かされている人だった。





父方の祖母と、母方の祖父。真逆の人生で、真逆の最後だったと思う。
短い期間でわたしは、わたしの父親の半分と、母親の半分を失ってしまった。




どちらのときも最初に思ったのは、

合格発表、成人式、結婚、
そういう、子供が成長する過程のよろこびを、
両親にも祖父母にも全く味合わせてあげられなかったことへの後悔。。。
高校の制服、振り袖、花嫁衣装、
女には若い時しか着れない、
見せてあげられない姿があるだけ余計思う。


自分が経験出来なかったことより、
家族をしあわせにしてあげられない後悔がものすごい。
わたしは生まれ持った条件は決して悪くないのに、
自分が悪い方に考えてしまったせいで
どれだけのしあわせを逃してしまったんだろう。


これから先の人生こういう悲しい出来事が増えていくのなら、
父方の祖父、母方の祖母が生きているうちはむずかしいかも知れないけれど、
両親と、弟が元気なうちに、家族がよろこんでくれるようなしあわせを手に入れたい。

母方の祖父が「おんなのこはお嫁に行くまでかみさまに預けられた子」って言ってたけど、わたしこの言葉すごく好きなんだ。



人より遅くても、少なくても、
わたしは誰かの半分になりたいし、
わたしの半分になってほしいと思う。

家族のためにしあわせになりたい。